第23話『瓦礫の中の希望 ―名を名乗る日―』

漢方小説

朝の光が、店の奥まで差し込んでいた。

昨日までの慌ただしさが嘘のように、

古い薬屋は静かだった。

床にはまだ修繕の名残があり、

壁際には工具箱。

棚は――まっすぐ立っている。

こつめは、その前に立ち、しばらく何もせずに眺めていた。

「……ほんまに、残ったんやな」

守れた。

でも、それだけでは足りない。

◆ 名を持たない店

山中さんの言葉が、まだ耳に残っている。

――こっからは“名前”やな。

店の名前。

看板に書かれ、

呼ばれ、

覚えられ、

人の口にのぼる言葉。

それはもう、

ただの“建物”ではなくなる、ということや。

こつめは古い机に座り、

紙とペンを出した。

何度も、何度も、書いては消す。

漢方。

守口。

おばあちゃん。

師匠。

自分。

どれも大事で、

どれも簡単に言葉にできなかった。

◆ 思い出す「ビッグ」という言葉

ふと、

小さい頃の記憶がよみがえった。

おばあちゃんに連れられて、

この店の奥で正座しながら言ったこと。

「なあ、ぼくな。

 おっきい人になりたいねん」

おばあちゃんは笑って、

頭をなでてくれた。

「ええやん。

 大きさはな、背ぇやないで。

 人の話、ちゃんと聞ける人は、

 みんな大きい人や」

その言葉が、

胸の奥で静かに鳴った。

――ビッグ、か。

◆ 守口で、ビッグになる

こつめはペンを握り直した。

東京でもない。

京都でもない。

ここは、守口。

生まれ育った町。

逃げずに戻ってきた場所。

ここで、

ちゃんと立つ。

ここで、

ちゃんと名前を名乗る。

紙の上に、

ゆっくりと文字を書いた。

お薬本舗

モリグチビッグ

しばらく、その文字を見つめる。

大げさかもしれない。

笑われるかもしれない。

でも――

胸は、不思議と静かだった。

「……これでええ」

いや、

「これが、ええ」

◆ 名を置く

こつめは立ち上がり、

棚の前に歩いた。

一番目につく場所。

まっすぐに立った棚の中央。

そこに、

当帰の瓶を置く。

その横に、

さっき書いた紙をそっと添えた。

お薬本舗 モリグチビッグ

誰に見せるでもない。

でも、確かに“名を置いた”。

こつめは深く息を吸い、

小さく、しかしはっきりと言った。

「ここはな、

 守口で一番、

 人の話を聞く薬屋にする」

棚は、何も言わない。

でも、倒れもしなかった。

◆ 外の光へ

店の扉を開けると、

朝の空気が流れ込んできた。

まだ看板はない。

客もいない。

それでも、

こつめは一歩、外に出た。

振り返り、

店を見上げる。

名を持った場所。

「……よっしゃ」

短く、そう言って、

扉を閉めた。

▶ 次回予告

第24話『扉の向こうの沈黙』

――おばあちゃんを探して来た人たち――