第10話『さよなら、おばあちゃん』

漢方小説

「こつめ、ちょっと来てくれるか?」

そう言われて、ぼくは薬棚の整理を途中でやめた。

いつもの声。いつもの調子。でも、何かが違った。

縁側に、おばあちゃんが座っていた。

畳に映る影が、いつもより細くて、頼りない。

「こつめ。あんた、よう手ぇ動かすようになったなぁ。

最初は、棚の“さ”の字も知らんかったのにな」

「…そんなん、おばあちゃんが毎回“棚の奥の物語”聞かせてくれるからやん」

ぼくは笑って言ったけど、

その瞬間、おばあちゃんの目がふっと遠くなった。

「ええか、こつめ。

この“漢方のまど”は、“誰かの苦しみの窓”でもある。

そこを一緒に、そーっと開けるのが、漢方家の仕事や。

“ぐいっ”て開けたらアカンで」

「……」

「つらい時こそ、そばに立ってることが薬になる。

そんな“漢方家”に、なってくれたら、うれしいな」

その夜、母から伝えられた。

「おばあちゃん、入院することになったんよ」

ぼくは、返事ができなかった。

胸の中で、何かが小さく、でも確かに音を立てていた。

そして、数日後――

白衣が似合う人やったな、って思う。

薬草の名前よりも、あの手の温もりを、もっと覚えとけばよかった。

最後の棚の引き出しを開けると、

そこには、古びた包み紙と、文字が一枚。

「こつめへ

“さよなら”は、やさしい言葉や。

それは“また、会える”って意味もあるからな」

ぼくは声に出して、もう一度読んだ。

「さよなら、おばあちゃん」

でも、その“さよなら”は、

きっと“始まり”やったんやと思う。

[つづく]

▶︎ 第11話『バイクで走る風の中で』

(青年期編、ついに始動――)