第14話『数字の向こうに』

漢方小説

営業所に戻ると、机の上には報告書の山が待っていた。

今日訪問した病院名、担当医、面談時間、そして――処方数。

パソコンの画面には棒グラフが並び、赤い線が「目標」を示している。

「ここを越えんと、評価はされへんぞ」

先輩がコーヒーを片手に言う。

「患者の顔を思い浮かべても意味はない。数字がすべてや」

言葉は冷たかったが、事実でもあった。

MRは医師に薬を説明し、処方につなげる。

その成果は数字でしか測れない。

翌日、ぼくは一人で町のクリニックを訪ねた。

待合室には、風邪気味の親子や、検診帰りの高齢者が腰掛けている。

診察室に通されると、初老の医師がにこやかに出迎えてくれた。

「おう君か、若いのにご苦労さんやな。

 この前は六君子湯をちょっと出したんや。患者さんが“胃が楽になった”て喜んでな」

先生は話好きらしく、こちらが切り出す前に近況を語り始めた。

そして、カルテを閉じながら何気なく口にした。

「そういや、前に出した補中益気湯の患者さんもな、

 “体力戻ってきた”て喜んでたんや。

 ああいうのは、数字には表れんけど、効いてる証拠やな」

胸の奥が熱くなった。

昨日の病院では、忙しい医師に遮られ、

「漢方はおまけや」と先輩に言われたばかりだった。

けれど、今この瞬間、確かに一人の患者に届いていた。

補中益気湯は、誰かの生活を変えていた。

営業所に戻ると、上司に呼び止められた。

「こつめ、抗生物質の数字が伸びてへんぞ。

 もっとアピールして数字を積まんと」

画面には数字だけが並んでいた。

そこに“体力が戻って喜んだ患者”の顔は、当然どこにもない。

夜、資料を整理しながら、ぼくは思った。

確かに数字は大事や。

けど、薬の向こうにいるのは人や。

その人の変化は、グラフにも報告書にも載らない。

おばあちゃんの言葉がふっと蘇る。

「つらい時こそ、そばに立ってることが薬になる」

営業マンとしては不器用なのかもしれない。

でも、心のどこかで分かっていた。

数字の向こうにこそ、本当の答えがある――と。

[つづく]

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(こつめ青年、漢方薬店の扉を叩く)