その日は雨上がりの午後やった。
湿った風が流れこむ店の奥で、こつめ少年は棚の整理をしていた。
「おばあちゃん、お湯わいたでー」
返事がない。
⸻
奥の間に目を向けると、おばあちゃんが椅子に腰かけ、
胸を押さえて静かに目を閉じていた。
「……だいじょうぶ?」
「うん……ちょっと、また詰まってしもた。」
⸻
こつめが心配そうに近づくと、
おばあちゃんはゆっくりと目を開け、こうつぶやいた。
「年をとると、**“気”**だけやなくて、“血”も詰まるんや。」
「血? 血が詰まるん?」
⸻
「そう。“瘀血(おけつ)”言うてな、血が巡らんようになって、
身体の中に澱(よど)みができる。」
「……血が流れへんってことか?」
「そや。肩こり、頭痛、しこり、くすみ……
いろんなサインで“巡ってへん”って、身体が教えてくれるんや。」
⸻
こつめは、少し黙ったあと、小さな声で聞いた。
「……こころの“巡り”も、止まったりするん?」
おばあちゃんは、少し驚いたような顔でこつめを見つめ、
そのまま微笑んだ。
「あるで。気も、血も、心もつながってる。
巡りが悪いと、思いも詰まる。」
⸻
「……おばあちゃん、なんかつらいこと、あったん?」
こつめの問いかけに、
おばあちゃんは、静かに目をそらしてこう言った。
「昔な……うん、ちょっとな。」
⸻
しばらくして、漢方棚から**桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)**を取り出しながら、
「これは、女の人の“血の巡り”をよくする薬や。
あんたも、いつか大切な人ができたら、思い出しぃ。」
「……ボクにも、できるんかな。大切な人。」
「できるとも。ちゃんと巡ってたら、自然と惹かれ合うもんや。」
⸻
その言葉が、
幼いこつめの心に、ふわっと温かく沈んでいった。
“巡る”ということ。
それは血だけやなくて、心にも言えること。
想いが詰まったときに、そっと流してくれる何か。
漢方には、そんなやさしさがあるのかもしれない。
⸻
【つづく】
⸻
次回は第9話『“漢方家”ってどんなひと?』へ。
漢方との向き合い方が、ついに“志”として形を帯び始めます。